「こらっ、おまさん達。また、ほがな事をしてっ。」
何やらを囲み輪になって、子供達が騒いでいる。
その輪に向かって走り寄りながら大柄な女は大声を上げた。
囲みの中の何やらは小柄な男の子。
囃し立てられ髪を引っ張られたり蹴られたりしている様子。
女の声に気が付いて輪の中の一人が振り返る。
「やばい、のおしさんが来た。逃げろ。」
そう叫んだ途端、蜘蛛の子を散らした様に子供達は掛け出した。
やーいやーいと捨て台詞を吐いて去っていく。
「てき、悪ガキ共が…。」
はぁーっと大きく息を吐き輪のあった位置に女が歩み寄る。
其処に残るのは薄茶色の麻の着物を着た一人の男の子。
先程のまま小さく蹲っている。
「辰馬、また苛められたが…。」
辰馬という少年のの側迄来ると、腰に手を当てて又大きく溜息を吐いた。
この大柄な女はオトメ。
蹲っている少年の姉である。
姉と言っても腹違いなのだが…。
元来世話好きのオトメはこの年の離れた弟が心配で。
こうやって時々嫁ぎ先から其の様子を見に来ているのだった。
オトメは辰馬の顔を覗き込む様に膝を折った。
その背にそっと手を当てる。
散々苛められたのだろう。
辰馬の顔は泥と涙と鼻でぐちょぐちょで。
オトメは持っていた手ぬぐいで辰馬の顔を拭った後、ぽんっと背を叩いて其の場に立たせた。
ざっと怪我の箇所を確認する。
両膝や両肘、脛など擦り剥いた痕から血が出ている。
パンパンと着物の埃を払うと辰馬に向かい態と元気な声を掛けた。
「さあ、はよぅいき井戸のぶんぶで傷を洗わんと。」
急かされる様にして二人は家路に就く。
「やっぱり剣術道場へでも入れんといかんかねぇ」
辰馬を見下ろしながらオトメは溜息混じりにそう呟いた。
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家に着くと早速井戸端で汚れた顔、両手や傷をざっと洗う。
「……痛い………。」
傷に触ると辰馬が思わず小さい声を洩らした。
しゃくり上げる背中。
目を両手の甲で擦りながら。
「男の子が、ほがーに泣いたらいかんちや。」
言われて辰馬がコクコクと頷く。
辰馬は此の村の商屋の長男。
オトメの母の後妻に入った女が産んだ腹違いの弟だった。
後妻は父親が身請けして来た元芸者で、その為か村の者など余り良く言う者が無く。
当然その子供の辰馬も余り良い様に言われる事は無く。
父親が違うのでは囁かれてさえいた。
理由は辰馬自身の外見にあった。
母親譲りの顔立ちと癖のある髪。
しかし、その髪は母親にも坂本の家の者にも似ておらず。
家人の中にも其れを疑う者がいないでも無かったのだ。
なので辰馬は家でも肩身の狭い思いをしていた。
特に去年母親が急死してから、その状況は益々顕著となった。
「どうしたものかのおし。」
ままならない状況にオトメはまた溜息を吐いた。
其の産まれにも問題があったが、その上彼は人も羨む豪商の息子。
村で唯一寺子屋に通っている事もあり、村の子達からは恰好の標的となっていた。
「誰にも負けんように強くならんと。」
そう言ってやっと落ち着いた辰馬の頭をオトメはそっと撫でたのだった。
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あれからオトメの勧めで剣術道場に入った辰馬は、めきめきと其の頭角を現していった。
「こがーに大きくなって。」
数年経って少し背も伸びた辰馬に感慨深げにオトメが呟く。
もっともまだまだオトメの背丈には足りて無かったが。
その様子に辰馬も嬉しそうに返し。
「のおしさんも元気そうで何よりじゃ。」
満面の笑みを浮かべる。
それなりに上手くやっている様子の辰馬にオトメはホッと胸を撫で下ろした。
二人で並んで道場から帰っていると、ドンッと辰馬が何かにぶつかった。
思わずよろけて転びそうになるのを踏ん張ると、またドンッと何かがぶつかる。
前のめりに転けた辰馬にオトメは慌てて駆け寄った。
顔を上げて向こうを見れば、ぶつかったのは村の子供達。
「馬鹿辰馬ー。」
そう言って子等は去って行った。
よいしょ。
何事もなかった様に其の場に立ち上がり、辰馬は袴についた土をパンパンと払った。
心配そうなオトメに先程と同じ様な満面の笑みを向けると。
「大丈夫大丈夫。心配無い、怪我ばしちょらんき。さ、行こ。」
笑みの儘オトメに手を差し出した。
「てき、どうして遣り返さないがかぇ」
遣られっぱなしの辰馬に負けん気の強い姉は溜息を吐きながらそう呟く。
しかし辰馬は笑顔の儘。
「納得いかん。」
言って憤懣覚めやらぬオトメを見ると辰馬は少し苦笑いで答えた。
「泣いたり怒ったりしても仕方無いき。」
夕空を見上げ笑顔の儘で静かな口調。
「こうやって笑ってりゃ、馬鹿相手にするんも面倒になってその内収まるきに。
好きにさせちょいたらええんじゃあ。」
未だ幼さの残る少年の口から出た言葉にオトメは驚いた。
彼が泣かなくなって久しい。
それどころかここ数年はお日様の様に明るい性格になって。
自分の願い通りの明るく強い子になったと喜んでいたのだが…。
そんな簡単な事では無いのだと…彼を取り巻く環境を思ってオトメは瞼を伏せた。
そう、彼の今迄の色々な体験が其れを言わせてるのだ。
そう思うと切なくてオトメは側の辰馬をぎゅっと抱き締めた。
「我慢出来のおなったら、何時でも姉ちゃんに言いに来たらええきに。」
抱き寄せると思ったより小さな肩が何となく物悲しい。
ぽんぽんと慰める様に背中や頭を軽く叩くと、不意に辰馬の肩が震えた。
多分ずっと堪えていたのだろう。
オトメの肩口に顔を埋めて小さく嗚咽を洩らす。
暫しの間の後辰馬が呟く様に答える。
「…ありがとう。もう…大丈夫やき。」
途切れ途切れの小さな声。
この小さな胸に色々なモノを抱えている。
自分の無力感を思いつつ、オトメは辰馬の癖の強い髪を撫でながら囁いた。
「しょうまっこと、強い男の子になったなぁ。」
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