目覚めぬ夢の中



受話器から手を離すとコードの長さの分だけ滑り落ち派手な音を立て床に転がった。
頭が痛い。
さっきからガンガンと脈打つ様に痛んでいる。


嘘だ。
信じられるかこんな事。
奴が…辰馬が死ぬなんて。


有り得ねぇ話だと頭から否定した。


生きている限り何時かは死ぬ。
わかってンだよそんな事ぁ。

だがあの攘夷戦争を俺達はギリギリのラインで生き抜いて来た。

…今更。
此の平和な世の中で。
見せかけだけかも知れねぇが平和になった世の中で。

そんなあっけなく死んじまうなんて…。
…此の目で確かめる迄は絶対信じねぇぞ俺ぁ。



一度瞼をキツく閉じて空を仰ぐと、意を決して玄関へと向かった。
脱ぎ捨てていた草履を突っ掛けて戸を開き階段を駆け下りる。
足が縺れて何度も転げ落ちそうになりながら。


嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。


全身全霊で否定しながら通りを全力で駆けた。
大江戸病院迄はかなりの距離があったが其の時バイクを使うなんて頭は働かなくて。
只ひたすらに夜の町を闇雲に駆けて行く。


幾ら深夜とはいえ不思議と外にはひとっこ一人居らず無音の世界で…ネオンすら其の色を失って見えた。







何処をどうやって走ったのか…。
気が付いたら病院の前だった。

時間が時間だからか灯りは消え、見上げた建物はまるで廃墟の様で。
一瞬足が竦んだ。


だが…迷っても仕方ねぇ。


深く息を吸い込み、重いガラスの扉に手を掛けるとグイと思い切り押し開けて病院内へと足を踏み込む。

中に入ればひんやりとして張り詰めた空気。
物音一つしない静かな廊下に俺の足音だけが響いている。


何だか分からないが呼ばれる様に俺の足はある場所へと向かっていた。
其の場所に…辰馬がいるというのか。

……魂の無い辰馬の抜け殻が。


見れば暗い廊下の先がぼんやりと明るい。
灯りの中に扉が一つ見える。
そして其の扉の横に難しい顔をして腕を組む多串の姿も。


て事は…此処がそうなのか…?


だが扉にはそれらしい札も無い。
近寄る俺に気付くと多串が顎で扉を示した。


実感を伴わない無音の世界。
その中で俺はゆっくりと扉に近付きノブに手を伸ばす。
手を掛けるとカタカタと金具が鳴った。


震えてんのか俺ぁ。


みっともねぇと思いながらも震えは止まる事無く…握ったノブが上手く廻らない。
仕方無くもう片方の手を重ねる様に掛け、両手でノブを廻し扉を開けた。


ギギギ…。


軋んだ低い音を立てて扉が開く。
室内は暗く…目を凝らすと小さな蝋燭の明かりの側に人の形に膨らんだシーツが見えた。

ストレッチャーの上の其の人型は俺の知る人物と丁度同じ位の背格好で。
其の長さが足りぬとばかりに足先をシーツから覗かせていた。

またもや足が竦む。


もう充分だろう。
此が奴だと…辰馬だという事は痛い程分かった筈だ。


もう一人の俺が其のシーツを捲る事を留まらせる。


俺らしくもねぇ…。
そう思いながらも震える指先がシーツの端を上手く掴めなくて。


と…其の途端。


掴みかけたシーツが一人でにバッと跳ね上がり、紅い服を着た男が俺の方へと掴みかかってきた。

先程部屋で見たのと同じ血塗れの辰馬の顔が…俺の間近に迫る。



「ぁぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ。」



意図せず俺は奇声を発した。
目の前の辰馬の両肩を掴むと思いっ切り跳ね飛ばす。



「痛ぁぁぁぁぁ、何すんじゃあ金時ぃぃぃぃぃぃぃ。」



素っ頓狂な声を上げ、逆さになった辰馬が襖へめり込んだ。




ん?


襖?!



辺りをキョロキョロと見回す。
真っ暗な室内。
しかし其処は先程迄いたセメント塗りの霊安室とは明らかに違う。

違うというか……………俺の部屋…?


「あだだだだ。魘されちゅうき起こしたんに…投げ飛ばすとはあんまりぜよ金時ぃ。」


襖にめり込んでいた辰馬はそういうと、打った頭を撫でながら起き上がった。
口では文句を言っているが其の表情は困った様に笑っている。

何時もの辰馬。

だが確かに其の顔は先程迄と同じ様に血に塗れていて…表情との違和感に戸惑った。
もっとも此奴は昔からどんな時でもこういう顔してたけど…。


「てめぇ…春雨にやられて……。」


化けて出たのか?
其れとも生きて居て…真選組の連中に担がれたのか?

イマイチ状況が掴めない俺は辰馬に問い掛け乍ら周囲を見回す。
襖の向こうから覗く定春以外、近くに誰かがいる気配は特に無い。


俺の問いにキョトンとした顔の辰馬はずれたサングラスを掛け直しながら笑い声を立てる。


あっはっはっはっ。
軽快な声が室内に響くと向こうの部屋の押入で休んでいる神楽が声を上げた。


「うるさいアル。モジャモジャ共、何時だと思ってるアル。乙女には睡眠時間貴重アルね!」


其の声に慌てて振り返る辰馬。
拝むような仕草をしながら声を落とす。


「あっはっはっ。おんしゃあ、そがぁにわしを殺したいがか?」


顰めた声でそう言いながらゆっくりと側に寄って来た。
血塗れの顔に濡れた髪。

相変わらず笑顔の辰馬に問い掛ける。


「じゃあ何だよ其の血は。」


単刀直入に聞いた俺に辰馬は笑いながら額を拭って。


「ああ此?玄関開いちょったき勝手に入ったら其処のワンコに頭ばぁかぶられた。」


はぁ??
そういや何か生臭ぇぞオイ。

思わず眉根を寄せた俺に辰馬が笑いながら問い掛ける。


「スマン。ワンコの涎で頭臭いき、風呂ば貸してくれんかのぅ。」


何か良く分かんねぇけど…要するにさっき迄のは夢だった訳だ。
大きく溜息を吐き頭を抱えた俺は、辰馬に対しシッシッと掌で払う仕草を返す。

其れを見ると辰馬は笑顔の儘、スッと立ち上がり襖を戻した。
10cm程開いた隙間から軽く手を振る。


「ほんじゃあ風呂ば借りるぜよ。」


笑顔で言って襖を閉じた。
もっとも表情自体は逆光で見えなかったが、声のニュアンスは先程迄の笑顔を思い起こさせる。

襖が閉じられると室内は元の暗闇に戻った。
奴の足音が遠ざかり風呂場の戸の閉まる音が聞こえる。
やがて微かな水音。


………はぁ………。


俺は再び大きな溜息を吐いた。
夢で…夢で良かった。

早鐘の様に打つ鼓動が苦しくて胸元を握りしめる。
動悸を収める様に幾度か深呼吸を繰り返すと上擦る様にしか吸えなかった空気が自らの肺を徐々に満たした。


が…再び不安が過ぎる。
俺は布団から起き上がると襖を開け風呂場の方へと歩き出した。


まさか此も……此も夢じゃねぇだろうな。


不安にかられ居間に出ると飲んだ筈のビールの缶は無く、電話の受話器もキチンと元の場所に納まっていた。
相変わらず風呂場からは水音が聞こえている。

こっちが本物なんだ。
確認する様に自分の頬を抓ると確かに痛いし。


マジ痛ぇなオイ…。


強く抓って紅くなった頬を後悔混じりに撫でながらソファへ腰を下ろす。
背凭れに寄り掛かり片腕を乗せテーブルへ両足を投げ出した。
再び大きな溜息。


さっきから溜息ばっかり出て来んだけど。
てか……あの馬鹿が死ぬってこういう気持ちになるんだ俺。
つい此の間迄、互いに会う事さえ無くても普通に生きてたってのに。


何度目か分かんねぇ位の溜息吐き出しながら背凭れに頭を乗せて天井を見上げた。


耳に入る水音に、ふと小さな疑問が過ぎる。

……辰馬の野郎、何でこんな時間に俺んちに転がり込んで来たんだ?
…考えようとしたが先程の衝撃から解放された怠さから眠気が襲い考えが纏まらない。


あー良いや。
其れは又明日の朝にでも辰馬を問いただしゃあ…。


そう思うと眠気に逆らえず瞼を閉じた。


何か…何か引っ掛かってんだが…今はもう……。


瞼と共に思考も闇へと落ちていく。
其れと共に耳に届く水音が徐々に小さくなっていった。




続きをというリクエストを戴いたので。

当初の予定通り一応夢オチです。
悪夢ってこう…妙に現実味があって覚めても覚めても未だ夢の中。
何て事無いですか?

そういう感じで書いてみましたのです^^;
なので此でhappy ending…になるのかな。
その割には中途半端な終わり方ですが^^;


続きはあります…なので終わり方が中途半端なんですけどね。
ありますっていうか…何て言うか多分此読んだ貴方の予測通りな感じなので^^;